2018年7月3日火曜日

為政者か偽せいしゃ、それとも犠牲者

政治家には、汚職や横領は必須、詐欺や搾取は利権争いの上では必要不可欠である。
政治が暴走すると、内閣は打っ飛ぶのは世の常であり、利益優先の競技、賭博には異論はないと言える。公僕の身、国家に注ぐ思い、考えがあっての政治家であると信じたい。
 即ち、行政を行う政治家を為政者、偽せいを行う国民に選ばれた者が偽せいしゃであり、選んだ国民が、犠牲者なのかもしれません。
偽りの行政は全て、偽せい、偽りの政治活動であり、金銭目的の政治家でしかないのが日本の政治家の本質であるのは、日本国民の本音とも言える。
 政治家は「タダでは決して動かない」、「人が動くのお金である」これは、真実であるといえよう。 金銭的価値に人々は動くのは、万国共通の真理、自然の摂理なのである。
構造化社会、三者三様の振舞がそのまま日本を表している。「為政者」「偽せいしゃ」「犠牲者」三つ巴の攻防が日々繰り返されて、日本は進化、増幅する無限連鎖なのでしょう。これこそが、日本の原動力、政、財、会の原動力はすざましエネルギーに満ち溢れ、繁栄と発展、増大する「原子炉」なのかもしれません。なぜなら、一億の核が分裂と融合を繰り返し、すざましエネルギーを放出し続ける日本の原動力、いや人類の言動力、宇宙船地球号、人類は「宇宙へと」動き始めた。地核エネルギーの続く限り人類は進化と増大を続け、新たなるエネルギーを生み出し、更なる進化を遂げるのである。