2011年5月22日日曜日

30キロ圏内までを原子力防災対策範囲に

「30キロ圏内までを原子力防災対策範囲に」という声が大きくなるなかで

ついこのほどまで、日本の原発では敷地外で住民の屋内退避や避難が必要となるような事故が起こることはありえないという言説が、日本列島全体を覆(おお)っていました。
そのようななかで、原子力施設を持つ市町村も各道府県も、原子力防災対策に本気で取り組むことはありませんでした。
ところが、福島第一原発で炉心溶融事故が起きるや、列島各地の原子力施設所在道府県やその隣接府県で、これまでは10キロ圏内とされてきた原子力防災対策範囲(茨城県、福島県、福井県、静岡県、島根県等では、コンクリート屋内退避又は避難の対象範囲は原発の3キロ圏内の地域。それより以遠の地域の住民防護対策は自宅等への屋内退避)を20キロ圏内全体あるいは30キロ圏内全体まで拡大する必要があると言う声が大きくなってきました。
もっとも、3・11の地震と津波によって甚大な被害を受けた直後に、その自然災害と人工災害との複合災害である原発震災が世界ではじめて起き、20キロ内全域に避難の指示が出された福島県では、大混乱のさなか首長などにそのような「余裕」などないようですが。
反対に、沿岸部一帯住民が3・11の地震・津波で立ち直るのが不可能なほどの痛手を受けた宮城県では、どう暮らしを立てていったらいいのかに思い悩む多くの人々とは心理的に遠く隔たったところで、知事が女川原発の被害の少なさを県民に印象づけようとパフォーマンスを演じ、石巻市長がその運転再開への賛成を早々と口にするなど、このところ首長の先走った軽々しい発言が続いていますが。
宮城県では一方で、今月に入ってからのことですが、私たちのところに、女川原発から直線距離で45キロほど離れたまち(市)に住む方からの「避難計画の根本的な見直しが必要」という意見なども届くようになってきています。
「県が避難範囲を30キロ圏に広げること、地震と津波で道路が寸断された今回の状況を前提に避難方法を具体的に示すことを求めたいです」というこの方の真剣な思いは、日本でも現実となった炉心溶融事故で原発の持つ巨大な危険性を目の当たりにし、今なお続く事故を他人事ではないと受けとめている宮城県内の多くの方々が共有している思いでもあるのではないでしょうか。
そこで今回は、この福島の事態を受けての今後の原子力防災対策について私たち「原子力発電を考える石巻市民の会」がどう考えているかを、簡単に述べておきたいと思います。

1995年12月のもんじゅのナトリウム漏れ火災事故後、原発の立地市町村は、国が原子力防災対策を一義的に引き受ける原子力防災対策特別措置法をつくるべきだと声を合わせて国に求めつづけました。
国は長い時間をかけて検討はしたものの、結局1999年9月、そのような法律はつくらないことを決めました。
ところが、政府・自民党は、その約2週間後にJCO臨界事故が突発するや一転して原子力災害対策特別措置法の制定を決断し、年内にそれを制定してしまったのでした。
これまでのように立地市町村と道府県に原子力防災対策を押し付けているだけでは原子力発電の推進が困難になる、と危機感に駆られたからです。
立地自治体を代表して原子力安全委員会の原子力発電所等周辺防災対策専門部会の委員をつとめていた敦賀市の方に当時聞いてわかったことでしたが。
その後、制度的には国が原子力防災対策の前面に立つようになったものの、その原子力防災対策が現状のままでは「打ち出の小槌(こづち)」である原子力施設の存続が危うくなるとの立地自治体のこのたびの危機感は、これまでの比ではないと思われます。
けれども、そのような危機感に立つ立地自治体等の声が実現すれば今度こそこのたびのような原発事故から住民を安全に守れる地域社会が築けると思うとしたら、それは幻想にすぎないのではないでしょうか。
「避難計画の根本的な見直しが必要」という意見を寄せてくださった方の思いの真剣さは、上のような虫のいい思惑とは全く異質の、とても貴重なものだと思います。
ですが、避難範囲を30キロ圏内に広げ、地震と津波で道路が寸断された今回の状況を前提とした避難計画をたてることによって、私たち宮城県民や日本列島各地の住民は本当に安心を得られるでしょうか。
確かに、私たち「原子力発電を考える石巻市民の会」は宮城県や石巻市に、よりましな原子力防災対策を求めてもきました。
JCO臨界事故が発生したとき、東京電力福島第一原発では過去に臨界事故が起きていたにもかかわらず、その東京電力を先頭とする電気事業連合会が原発では臨界事故など起こりえないと主張し、大企業のそのような声が日本社会をまかりとおるなか、私たちは宮城県庁で当時の副知事に面会し宮城県全域を原子力防災対策範囲とするよう求めもしました。
そして、石巻市に働き続けた結果、今回の津波で亡くなった土井喜美夫前市長が市長在職中に、最も離れた所で女川原発から16、17キロの集落もある旧牡鹿町全域を避難対象範囲とすることなどが実現しました。
しかし、そのような求めは、チェルノブイリ原発事故のような大事故が当地でも現実に起こりうると考え、その時も行政当局に子供をはじめとした住民の健康や命だけは守らせなければならないと考えてであって、そのことで安心な地域社会を築けると思ってのことではありませんでした。
「止めようプルサーマル!止めよう核燃料サイクル!女川原発地元連絡会」の仲間と、去年石巻市に、「『放射能放出後、放出中』という条件の下での住民避難訓練を!」と求め、「来年度は(女川原発から29キロ離れた所に建つ)遊楽館を避難先施設として避難訓練の実施を」と求めました。
それも、当地で今年度予定されそうだった国主催のいわば形だけの原子力防災訓練を懸念し、福島県(2008年)、茨城県(2009年)、静岡県(2010年)でも繰り返されてきた狭い地域を避難対象範囲とした住民避難訓練の実施などを牽制するためでした。
福島で原発震災が起きた今私たち地震列島住民が行なう必要があるのは、これまで私たちの頭をもしばってきたエネルギー観、価値観から一歩でも二歩でも離れて、本当に私たちの生活に原発が欠かせないものなのかどうか自体を見つめ直してみることではないでしょうか。
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