2015年6月13日土曜日

被爆競技会の地

被爆の地、爆心地福島の復興の鍵はギャンブルである。 国策である原子力政策は博打と変わらない経済政策である。
原子炉解体の進まぬ福島県の地方政策の打開には、カジノや公営賭博所の誘致、開発が必要であると言えよう。
 ギャンブルや賭博と言えば、言葉が悪いので印象は悪いが、勝負の世界は「生死」問題である。 人が生きられる時間は限られ、制約の多い現代社会を生きる為にも原始力は必要不可欠であると言えるからだ。
 震災の復興、経済の立て直しには博打が一番であり、競技種目に資金を投入する事は決して間違ってはいない。命を賭けるか、お金を賭けるか極端な話であるが、結論である。
経済政策は「お金」「リスク」「人」の三要素で決まり、自己責任で行う行為、責任のある行動である。 政治家が「献金パーティー」開催するのも資金集め他ならず、賭博を開催するのも同じことである。 賭博を開催する胴元と、参加するプレイヤーとの決め事、決まり事、ルールの問題であると言いたい。 政治に白黒をつけるなら、オッズは必要であり、参加には登録手数料、参加費が必要なのは言うまでもない。
ここで注目するのが被爆の聖地、放射能汚染地の福島県、住むだけで「リスク」が共なう環境で生活する、正気の沙汰とは思えない「リスク」を背負、生死を賭けて生きるギャンブル的な生き方は、意味がないと言える。 地方政策、住民の双方に問題のある地は、日本全国の中でハイレベル、「被爆会場」から「賭博会場」へと上場が最も望ましい。
騙しやすい地方の政策は、意外と簡単で実現しやすく、地方創生を餌に、有権者を丸め込む絶好の機会である。 一番、適したのが「福島県」、世界的に有名な福島が有力候補といえる。
 原子炉は安全ではなく、また事故を起こすのは必然、技術力不足の日本がこれ以上環境破壊大国であり続ける限り、人類の未来は決して有り得ない

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