2017年3月11日土曜日

東北地方太平洋沖地震 1号機停止

1号機では、11日14時46分の地震発生後、14時52分に原子炉を冷却する非常用復水器が起動[33]したが急激な圧力低下を緩和するため(圧力容器の破損を避けるため)、作業員が回路を開閉中、15時半に津波に襲われ、15時50分非常用電池が水没して遮断状態のまま非常用復水器が使用不能になり、同時に計器、動弁電源も失われた。東京電力は、17時に電源車を出動させたが渋滞で動けず、18時20分に東北電力に電源車の出動を要請したが到着は22時で[34]津波の被害・電圧不一致もあって翌日15時まで接続できなかった。一方11日19時30分に1号機の燃料は蒸発による水位低下で全露出して炉心溶融が始まり、20時50分から動かしていたディーゼル駆動消火ポンプも翌12日1時48分に機能停止[35]、翌12日明方6時頃には全燃料がメルトダウンに至ったとみられる[36]。1号機は上記の経緯で、地震発生後5時間で燃料が露出したとみられ、15時間ほどでメルトダウンしたと思われる。
東電は11日夕方から夜にかけて、非常用復水器が停止していることを認識せず、注水が行なわれているとみていた(後述)。ところが11日23時ごろから1号機原子炉内圧力の異常な上昇を検知し、格納容器内部圧力は設計強度の1.5倍にも達したため、12日0時06分頃、第一原発の吉田所長はベントの準備をするよう指示した[37]。大量の放射性物質が大気中に放出される恐れ、また臨界低減用に充填されている窒素も抜けてしまう恐れは承知のうえで、経産相も12日早朝、ベント実施を命令し、菅総理も第一原発を訪れてベントを急ぐように指示した[38][39]。東電は12日9時頃にウェットベント作業を開始。しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の放射線に現場が汚染されたことでベントの作業は難航し、14時30分にようやくベント成功を確認した[40][41][42] 。
その1時間後の15時36分、1号機の原子炉建屋は水素爆発を起こして大破した[43]。火炎を視認できない透明な爆発と同時に地面を這うような白煙が広がった。水素爆発の原因は、圧力容器が損傷したことで建屋内に水素が充満していたか、あるいはベントにより排出された多量の水素を含む水蒸気が原子炉建屋のオペレーションフロアに流れ込んだためと諸説ある[44]。爆発でまき散らされたがれき等により、負傷者が出るとともに、完成間近だった2号機への注水用ポンプケーブル敷設作業が振り出しに戻ってしまった[45]。また、爆風によって2号機建屋のブローアウトパネルが脱落、建屋内部が外気に通じた[45]

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