私が福島第二原子力発電所に勤めていたのは、もう20年以上前です。5年近くは福島県の富岡町に住んでいました。
住所を書きますと、
福島県双葉郡富岡町大字小良ケ浜字市ノ沢186-2 夜ノ森独身寮(よのもりどくしんりょう)203号室
でした。現在は、もう取り壊されてないとのことなのですが、
・4.5畳2間。
・鉄筋コンクリート建て
の立派な建物でした。当初は、電話はなし。(受付取次のみ)寮長さん、寮母さん、賄いさん3名、掃除のおばちゃん3名ほど。
入寮していた人は20名足らずだったでしょうか。寮費は10,000円以下/月 程度。あとは、朝食、夕食が実費(学食並み)が徴収されていました。
風呂は共同、トイレも共同、コインランドリー、ジム、ちょっとした書斎、タバコの自販機なども整備され、非常に住み心地は良かったです。
暖房は灯油ファンヒーターでした。(燃料費実費)やはり、電気は高いから、灯油を使っているんだろうね。とみんなで話していました。
同期の配属は全部で10名(東電の原子力発電所の中では最も少ない人数で、みんな仲良くやっていました)
最初の一ヶ月は、大学卒新入社員全員(文系、理系、全部門)が、多摩地区にある東電学園で研修をしました。最後に、給料明細をもらったのですが、福島は第3地区(だったと思います)。何の手当(住居手当など)もないため、手取り10万円に届かなかったことが記憶に強く残っています。
東京から引っ越しするに当たり、寮長に電話をかけ住所を聞きましたが、あまりにも長い住所なので、なんども聞き返しました。さらに よるのもり 独身寮 という名前が・・・・
赴任したのは、ゴールデンウィークの前 4月下旬。桜が満開で、赴任の日に寮生全員で夜ノ森公園で花見をしていました。夜ノ森駅から歩いて寮に向かい、プレハブのような建物を見ては、あそこなら嫌だな・・・なんて考えていました。
途中、立派な鉄筋コンクリート3階建ての建物があり、あそこならまあいいけど・・・・と思った建物こそが目指す独身寮でした。
東京で5年間過ごしていましたので荷物が山のようにあり、寮長に呆れられました。その時送った炊飯器、冷蔵庫は全く使わず、直ちに処分。
食堂ではまかないのご飯の他に、ビールやつまみがおいてあり、自分の好きなものをとって、金額を帳面に書く。月末給与時に精算の形をとっていました。独身寮の中に入れば、生活には不自由はありません。
周りにはコンビニもなく、自動車の所有も1年間は禁じられていましたので、自転車、原付のみ。近くには本屋もなく、図書館もなく、NHKラジオの教育放送も入らない。そんな環境でした。
発電所への通勤は、常磐交通の借上げバス。非常に豪華なバスでした。ただし、朝は1本のみ。乗り遅れたら、遅刻。最後の方は歩いて通っていましたが、歩くと発電所まで1時間以上かかるくらいの距離でした(このあたり、記憶があやふやです)
帰りは、30分~1時間に1本程度。
つまり、会社の独身寮で生活して、送迎は会社のバス(当然乗車しているのは社員のみ)、そして会社の独身寮に帰るという生活でした。東京に転勤して何が一番嬉しかったといいますと、鉄道などの公共交通機関で東電社員以外の人の顔を見ることができることでした。 (気分で続きます)
posted by いんちょう at 16:03 |
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