2019年12月29日日曜日

1.テロ防止関連条約と核テロ防止条約 「放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律案」(以下「本法律案」という。)は、平成17年4月に、国連総会において採択された「核によるテロリズムの行為の防止に関する国際条約」(以下「核テロ防止条約」という。)の適確な実施を確保するため、政府より今国会に提出されたものである(日本は、同年9月に署名) 核テロ防止条約の目的は、放射性物質又は核爆発装置等を所持、使用する行為等を犯罪とし、その犯人の処罰、引渡し等について定めることとされており、テロ防止に関する国際条約のうち、平成13年に米国で発生した9.11テロ以降、初めて採択された条約である。22か国の批准により発効するが、100か国以上の署名があるものの、まだ14か国の批准に留まっている(平成19年3月1日現在) 核テロ防止条約は、平成8年に国連総会で採択された「国際テロリズム廃絶措置」決議を契機として、ロシアの提唱により、平成9年2月から、国連総会の下に設置された国際テロ撲滅アド・ホック委員会において交渉が開始された。同条約の起草は、平成10年にロシアが提案した草案を基礎として行われたが、関係国の利害対立(パキスタンとインド、イランと米国、等)により調整は難航し、9.11 テロの発生等を受け、ようやく妥結に至った1平成 18 年7月のG8首脳会議では、世界各国に対し核テロ防止条約の批准を求め、平成19年のドイツでのサミットにおいて「我々の取組の成果を報告する」とした「テロ対策に関するG8首脳宣言」と「国連のテロ対策プログラムの強化に関するG8声明」が示されている。 2.本法律案の概要 (1)処罰される行為 核テロ防止条約は、死又は身体の重大な傷害、財産の実質的な損害等を引き起こす意図での放射性物質等の所持・使用や核施設の使用・損壊と放射線の発散等による脅迫を犯罪としている。 我が国における放射性物質の管理と放射線の発散についての規制は、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(以下「原子炉等規制法」という。)と「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」(以下「放射線障害防止法」という。)により行われている。これらは主に、原子力発電や放射線を用いる事業に携わ
立法と調査 2007.4 No.266 31る者に対する使用の許可や届出等の義務を定めたものであり、悪意を持って放射性物質を使おうとする者の存在を前提としたものではない。しかし、両法においても、核物質防護条約及び爆弾テロ防止条約を担保する国内法として、正当な理由なく、原子核分裂の連鎖反応(核爆発)、核燃料物質による汚染物の取扱い、放射性同位元素を装備する機器等の操作、その他不当な方法により放射線を発散(方法のいかんを問わず外部に拡散)させ、人の生命、身体又は財産に危険を生じさせた者に対しては、10年以下の懲役に処することが定められており、未遂も処罰の対象とされている。 本法律案では、両法におけるこれらの規定を集約するとともに、これらの行為の予備(準備)行為、危険を生じさせる目的での放射線を発散させる装置の製造及び所持、放射性物質の所持についての未遂行為、放射性物質を用いた脅迫、強要も処罰の対象としている。量刑も上限で無期懲役とされている。 放射線発散防止法案により処罰される行為 (1)核燃料物質の原子核分裂の連鎖反応(核爆発)により、人の生命、身体又は財産に危険を生じさせること (2)放射線を発散させて、人の生命、身体又は財産に危険を生じさせること(→(1)(2)の法定刑の上限を10年から無期懲役に引上げ) (3)(1)(2)の行為の予備(準備)行為 (4)(1)(2)の行為の目的での放射線を発散する装置等の製造及び所持、放射性物質の所持 (5)(1)(2)(4)の未遂行為 (6)その他(放射性物質を用いた脅迫、強要) (7)(1)~(6)の国外犯 (出所)文部科学省資料 (2)規制と罰則の在り方本法律案と類似の枠組みを持つ法律として、サリン等による人身被害の防止に関する法律(以下「サリン等防止法」という。)がある。以下、参考のため、規制と罰則の在り方を比較してみる。 ア 規制対象物質 本法律案では、放射性物質や「原子核分裂等装置」(核燃料物質の臨界を起こさせる装置、放射性物質の放射線を発散させる装置、加速器(高エネルギー放射線発生装置))を用い、人の生命、身体又は財産に危険を生じさせる目的があれば、処罰の対象としている。放射線の強さについては、電子線及びX線についてのみ強度の下限が記されており(原子力基本法により政令で定める放射線の定義による)、医療用の一般的なレントゲン装置の発するX線は、そのエネルギーが規制対象値以下となっている。 一方、サリン等防止法では、サリンに準ずる毒性の強さ、発散時の危険度(物質の機能的側面)等により対象物質を政令によって定めることとしている。 イ 量刑 本法律案では、「放射性物質をみだりに取り扱うこと、・・・その他不当な方法で、・・・人立法と調査 2007.4 No.266 32の生命、身体又は財産に危険を生じさせた者は、無期又は2年以上の懲役に処する」とされており、人の死傷の結果については、刑法の殺人罪によって更に重く処罰されることとなる。 一方、サリン等防止法では、「サリン等を発散させて公共の危険を生じさせた者............は、無期又は2年以上の懲役に処する」とされ、「人里はなれた山中で空中散布した場合、船舶等で人がいない海に行き海中に放流した場合は一般的に言うと公共の危険を生じさせたとは言えない」とされる2放射線もサリン同様、発散された量や発散時の周囲の状況により「危険度」が大きく変わる。「危険度」と量刑の関係、抑止力としての量刑の妥当性等が問われることとなろう。なお、放射線発散の予備罪は、サリン発散の予備罪と同じ5年以下の懲役だが、殺人予備罪は2年以下の懲役となっている。これは、殺人予備罪が個人の生命を保護法益とするのに対し、サリン発散は、公共の安全に与える影響が非常に大きく、その予備についても危険性が高い場合が少なくないと考えられたためとされる3ウ 輸出入、流通 サリン等防止法については、目的を問わず、輸入、譲り渡し及び譲り受けとその予備行為も禁止されているが、本法案では、対象となっていない。 核燃料物質及び核原料物質の輸出入及び流通は、原子力基本法、原子炉等規制法及び輸出貿易管理令等により規制されている。特に核燃料物質については、指定、許可等を受けた者の間以外では譲受渡ができないこととし、その流通の範囲を限定している。 放射性同位元素については、放射線障害防止法により、使用について許可制、販売については届出制を採っている。輸出入については、国際原子力機関(IAEA)が、「放射線源の輸出入ガイダンス(2004 年9月)」により規制対象を定めている。人体に与える危険性を考慮し、カテゴリー1~5までに分類し、各カテゴリーに該当する核種、数量、機器名称が示されている。この中で、放射線源の輸出入ガイダンスは、カテゴリー1(遮へいなく近づいた場合、数分から1時間で死に至るもの)、カテゴリー2(遮へいなく近づいた場合、数時間から数日で死に至るもの)を対象としている。 我が国においても、ガイダンスに合わせ、人体に与える危険性が高い放射性同位元素の輸出については承認制としている(輸出貿易管理令)。輸入については、所定の資格用件を証する書類を税関に提出することが義務づけられている(輸入貿易管理令)エ 脅迫・強要 原子炉等規制法では、特定核燃料物質(高濃縮の核燃料物質。核兵器への転用可能性が高い)を用いて、ア)人身及び財産に害を加えることを告知して脅迫すること、イ)窃取、強取することを告知して脅迫・強要することが処罰対象とされている。 本法律案にこの規定が移されるとともに、ア)について、放射性同位元素や加速器等による危害が加えられた。 立法と調査 2007.4 No.266 333.原子力防護への取組 (1)核物質及び放射性同位元素の防護核燃料物質の盗取等の不法な移転や、原子力施設等への妨害破壊行為を防止することは「核物質防護」と定義されてきたが、これまで「放射性同位元素の防護」を直接定義したものはなかった。IAEAによる放射線源の安全とセキュリティに関する行動規範では、その目的と範囲について「放射線源へ許可なく近寄ること、破壊活動、紛失、盗取及び許可のない移動を防ぎ、被ばく事故の可能性や、人・社会・環境に対して影響を与える放射線源の悪意ある使用を減らすとともに、放射線に関連する事故、悪意ある行動による被ばくによる影響の減少を成し遂げること」「人、社会、環境に対し、重大な影響を及ぼすおそれのあるすべての密封線源に適用する」「研究炉及び発電炉等で使用される核燃料物質は含まない」とされている4核物質防護については、IAEA等による枠組みの中で厳格な取組がなされてきたが、国際テロの脅威の高まりにつれ、核物質以外の放射性同位元素を用いる「汚い爆弾」(ダーティボム:セシウム・コバルト等の放射線源を通常の爆弾に混ぜて爆発させるRadioactivity Dispersal Device(RDD))への対策強化が求められている5内閣府の原子力委員会は、テロ対策の国際動向等を踏まえ、核物質等や関連施設の特性を踏まえた合理的、効果的な防護の在り方について基本的な考え方を調査審議するため、平成18年12月、原子力防護専門部会を設置した。そこでは核物質防護と核物質以外の放射性物質の防護を総称し、「原子力防護」と呼んでいる。 (2)放射性廃棄物の防護 核燃料の再処理の過程で生まれる高レベル放射性廃棄物は、核兵器に転用可能な物質がほとんど含まれておらず、ガラス固化体(放射能の高い廃液を、ガラス原料とともに溶かしてゆっくり固化したもの)となっていることから、その特性から特定核燃料物質(プルトニウム等)を抽出することが極めて困難とされ、盗取の脅威は極めて低いとして、核物質防護規定6による盗難防止等の対象とされていない。本年1月、経済産業省総合資源エネルギー調査会原子力防災小委員会は、今後の放射性廃棄物の核物質防護規制については、従来の盗取の脅威に加え、妨害破壊行為の脅威も重視すべきであるとの中間報告書「放射性廃棄物の埋設事業に係る核物質防護の在り方について」をまとめた。これを受け政府は、ガラス固化体や長半減期低発熱放射性廃棄物を核物質防護の規制対象とするため原子炉等規制法を改正する意向とされ7、原子力防護専門部会においても検討がなされている。なお、低レベル放射性廃棄物については、放射能濃度が極めて低いことから核物質防護の対象とはされていない。(3)放射性同位元素の防護 放射性同位元素については、安全管理の観点から、室に人がみだりに入ることを防止するためのインターロック(安全装置)を設けること等が放射線障害防止法施行規則に定められているが、防犯の観点から原子炉施設等ほどの厳しい防護管理は行われていない。これは、核分裂を起こし得る核物質に比べ、放射性同位元素を使った大規模な放射線の発散を行うことが難しく、多くの人命や財産を一度に危険にさらす危険性が低いこと、放射性立法と調査 2007.4 No.266 34同位元素は、日常生活の様々な場面で使われており、放射線障害防止法による規制対象事業者も多く(国内に約4,600事業所)、厳格な管理体制を網羅的に構築することは、難しいこと等が背景にある。 しかし、テロの脅威の高まりに応じ、平成 15 年、放射性同位元素のセキュリティについて、IAEAが行動規範を策定するなど、具体的な対応が求められており、特に放射能の大きい線源について、線源の防護の仕組みや登録管理システムを構築することなど新たな取組が必要となっている8今後、事態の変化に応じ、様々な場合を想定した対テロ予防措置が新たに講じられることも予想されるが、対テロの「網」をどこまで広げるべきか、現実的な危険性の判断と費用対効果も論点となろう。 核物質防護の国際ガイドラインは、核兵器への転用可能性に応じて管理し、放射性同位元素の防護は、人体への影響が大きいものほど厳しく管理することとされている。日本ではどのような考え方を採るのか、核テロ対策を講ずる際の検討事項とされている9また、こうした問題は、防犯上の観点から一般向けに詳細な情報開示ができず、必要な原子力防護措置とは何かについて開かれた議論ができないもどかしさも指摘されている101 森秀勲「大量破壊兵器テロを防止するための国際的なルール作りの動き」『立法と調査』251号(平17.11) 2 第132回国会参議院地方行政委員会会議録第11号7頁(平7.4.19) 3 第132回国会衆議院地方行政委員会議録第14号6頁(平7.4.19) 4 内閣府原子力政策担当室「原子力防護に関する経緯と現状」原子力委員会原子力防護専門部会(準備会合)配付資料(平18.12.27) 5 独立行政法人科学技術振興機構「原子力百科事典ATOMICA」(http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/08010321_1.html)、斉藤卓也「放射性物質飛散爆弾(ダーティーボム)の脅威と国際的な放射線源のセキュリティ対策」『保健物理』第39巻2号(2004.6)79頁 ダーティーボムの放射性物質それ自体は、連鎖反応は起きず、爆発性はない。核爆発による直接かつ強力な殺傷能力とは異なるが、ダイナマイトなどの爆発物と一緒に爆発させることで放射性物質をばらまく。放射性物質の拡散とそれに伴う被爆による人身と環境の被害、一定区域が放射性物質により汚染されることによる長期にわたる立入り禁止措置と汚染物質の除去等に伴う経済的被害、放射線に対する住民の恐怖心の惹起による社会的混乱及びこれらを前提とした脅迫の恐れがある。通常の原子爆弾に比べると、ダーティーボムの人体への影響は非常に小さい。 6 「国際テロ集団が核兵器製造のため核物質を盗取し、あるいは精神異常者が核物質を持ち出し、または施設を破壊して社会的不安を引き起こすことの危険に対して、施設あるいは核物質の輸送時の防護のための必要な措置」(財団法人日本原子力文化振興財団『核燃料と原子炉材料』(平8.3)139頁)。原子炉等規制法により、事業者に義務付けられている。 7 東奥日報(平19.1.18) 8 文部科学省科学技術・学術政策局原子力安全課「原子力施設における安全規制の現状と取組」『文部科学時報』(平19.1)47頁。「放射線源に関する情報の多くは日本アイソトープ協会により把握可能となっているものの、同協会から供給された放射線源を小分販売した場合、直接輸入、放射線源交換時における放射線源に関する情報把握は難しい。放射線源の供給・返却(譲受・譲渡)に係る放射線源の移動を放射線源登録により確認することができ、放射線源の取扱に係る許可を持たない者が所持することを防ぐことにつなげることができる。また、万一、放射線源の盗取・破壊、R(放射線)テロ等が発生した場合、速やかに放射線源に関する情報を確認・提供するとともに、放射線障害の防止、安心情報の提供につなげることができる。」とされる(原子力安全規制等懇談会放射線安全規制検討会配付資料(平18.6.27)9 内閣府原子力政策担当室「原子力防護の在り方の基本的考え方に関する確認・検討事項(案)」原子力委員会原子力防護専門部会(準備会合)配付資料(平18.12.27) 10 座談会「これからの原子力の安全と平和利用のあり方」『文部科学時報』(平19.1)28

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