2012年6月14日木曜日

地震と津波による電源喪失と原子炉の破損の進行


地震と津波による電源喪失と原子炉の破損の進行 [編集]

この地震により、原発に電力を供給していた6系統の送電線のうちの鉄塔1基[注 1]
が地震による土砂崩れで倒壊し[35]、5号機・6号機が外部電源を喪失した。1〜4号機もまた、送電線の断線やショート、関連設備故障などにより、同じく外部電源を喪失している[3]
東京電力は公式見解で事故原因は未曽有の大津波だとしているが、4月27日の衆議院経済産業委員会で吉井英勝議員(日本共産党)の質問に答えて、原子力安全・保安院長は、倒壊した受電鉄塔は津波が及ばなかった場所にあったことを認めた[36][37]
事実の隠匿、地震発生から空白の40分、余震もなく突然と言う訳でもない、安全性や対策に問題があり、過失事故である。
外部電源が失われたため、一旦は非常用電源(ディーゼル発電機)が起動し切り替わった。しかし大きな津波が、地震発生41分後の15時27分の第一波[38]以後、数回にわたり本原発を襲った。津波は低い防波堤を越え、施設を大きく破壊し、地下室や立坑にも浸水した。地下にあった1 - 6号機の非常用電源は水没し[39]、二次冷却系海水ポンプや、燃料のオイルタンクも流失した。このため各プラントは全交流電源喪失に陥り、非常用炉心冷却装置 (ECCS) や冷却水循環系のポンプを動かせなくなった。しかも海水系冷却装置系統(RHR)は津波で破損した[40]。核燃料は原子炉停止後も長い年月、崩壊熱を発し続けるので、長時間冷却が滞ると過熱を起こし事故に繋がる。
1号機では、11日14時46分の地震発生後、14時52分非常用復水器が起動[41]したが急激な圧力低下を緩和するため(圧力容器の破損を避けるため)、作業員が回路を開閉中、15時半に津波に襲われ、15時50分非常用電池が水没して遮断状態のまま非常用復水器が使用不能になり、同時に計器、動弁電源も失われた。東京電力は、17時に電源車を出動させたが渋滞で動けず、18時20分に東北電力に電源車の出動を要請したが到着は23時で津波の被害・電圧不一致もあって翌日15時まで接続できなかった。一方11日19時30分に1号機の燃料は蒸発による水位低下で全露出して炉心溶融が始まり、所内での直流小電源融通で動かしていた非常用復水器も翌12日1時48分に機能停止、翌12日明方6時頃には全燃料がメルトダウンに至ったとみられる。1号機は上記の経緯で、地震発生後5時間で燃料が露出したとみられ、15時間ほどでメルトダウンしたと思われる。
2号機・3号機では蒸気タービン駆動の隔離時注水系 (RCIC) が、2号機は約3日、3号機は約2日の間、炉心に水を注入し続けた(2号機・3号機は、全交流電源喪失を考慮し、隔離時注水系 (RCIC) ・高圧注水系 (HPCF) と、2系統の蒸気タービン駆動注水装置がある。2号機の高圧注水系はバッテリー水没で起動しなかったが、3号機ではバッテリーが生きていたHPCFが、RCIC停止を感知して入れ替わり起動し、その後15時間ほど稼働し続けた)。しかし停電時間は、電力会社が設計上想定してきた最大8時間に収まらず、非常用バッテリーを使い切った。渋滞による電源車の遅れ、原子炉の電圧と合う電源車が62台のうち1台しかなかったこと、電源車の出力不足、唯一の受電施設が水没したこと、震災翌日に開通した仮設電源ケーブルが開通6分後に1号機の水素爆発で吹き飛ばされたこと、自衛隊や米軍による電源車のヘリコプター空輸が重量超過のためできなかったことなどの複合要因により、全電源の喪失が長期化した[42][43][44]
政府の事故調査・検証委員会による1号機水素爆発に関する事情聴取から、現場側がベント操作が手間取ったことについて、現場には長時間の全電源喪失を想定した対応マニュアルがなく、よって手動によるベント手順も整備されておらず、設計図などから新規に手順作成しなければいけなかったこと、全電源喪失のためベント弁操作用バッテリーが必要とされた際、機材形式の連絡に不備があり、本社が調達し発送した多機種が一斉に搬入され必要機種の選別に手間取ったり、必要な機材が福島第二原発やJビレッジに誤配されて取りに行く手間が増えたなど、本社の援護が乏しく、突然の非常事態に現場側の混乱も多かったためとされている。ドライベント成否は、圧力容器内の圧力低下や線量増加など各数値からの推測であって、事実を確認できてはいない(これは、容易に分解や立入で状態確認できない原子炉プラントにおいて常に共通の概念である)。水素爆発について、圧力容器が損傷したことで建屋内に水素が充満していた、誤って原子炉建屋作業スペースへ排気してしまった、等と諸説あるが、多忙な現場では誰も水素爆発まで予見できなかったとされる。仮に津波がきて全電源を喪失し冷却ポンプが作動しなくなっても、非常用復水器 (IC、ISO (Isolation) CONDENSER、イソコン) など各炉冷却系が起動し冷却するはず、という程度の甘い認識だった(ICは1号機のみ)。非常用復水器にはその構造上、電源喪失時に一旦自動で弁が閉じ作動を停止する安全装置が付いているのだが、現場作業員は誰もその構造を理解しておらず、その結果非常用復水器の起動が3時間以上遅れた。その後偶然バッテリーが一時的に回復し、非常用復水器停止のランプが点いていることに気づいた現場作業員が手動で起動させたが、作動中に発生するはずの蒸気を目視で確認できなかったため、「空焚き」により非常用復水器が破損し放射性物質が外に放出される可能性があるとして、数回にわたり手動停止させていた。実際には非常用復水器は空焚きによって破損することはないのだが、現場作業員は誰もその事実を知らなかった。仮に非常用復水器を手動停止しなかった場合、冷却効果によりメルトダウンの発生は7時間は遅れていたとされ、その時間を使い有効な対策を進めれば原子炉が壊れない可能性が高かったと指摘されている。その非常用復水器手動停止の報告は中央制御室から対策本部へ伝えられたが、発電所幹部は誰もその重大な事態を認識できていなかった。このような経緯の中、3月12日午後3時36分に1号機は水素爆発した[45][46]明らかに東電の管理能力の低さが招いた、当然の結果であり、災害によるものではなく、人災である。
立地調査段階で既に、安全性を怠っている重大な過失!
福島第一原発1 - 4号機は、標高35 mの丘陵を岩盤に近づけ標高10 mまで削って整地し[47]、非常用電源も地下や1階に設置していた。標高は5号機・6号機は13 m、福島第二原発は12 mだった。この落差がそのまま、津波被害の大小へ直結した。現地では、やや高い5号機付近の敷地から、施設周辺が次第に津波に覆われる様子を撮影している[48]
2002年に、東京電力は、福島第一原発で想定する津波の高さを、土木学会が2002年に開発した、歴史的地震の文献や断層モデルを組み合わせる評価法によって計算していた[49]。この結果、平均海面(O.P.=小名浜港工事基準面……詳細は福島第一原子力発電所#海象状況の調査も参照)からの高さが5.7 mを超える津波はないとした。
しかし、東京電力の発表によると、今回の地震で実際に襲来した津波は遡上高14 m - 15 mといった規模であり、標高10 mの1 - 4号機の敷地では津波の痕跡が4 m - 5 mの高さの所にまで残っていた(標高13 mの5号機・6号機の敷地では0 m - 1 m)[6]。また6月28日の定時株主総会では株主の事故への対応に関する質問に対して「津波については5.7mを想定していたが、福島は全域で14 m - 15 mに達した。事故原因を調査していく」と回答している[50]。また7月8日東京電力はコンピュータ解析により、沖合30 kmの地点で6つの断層破壊による津波は次々重なり地震発生約51分後津波の高さが13.1 mに達し原発を襲ったと発表とした[51]
安全対策を怠った、杜撰な調査に基づいた当然の結果である、今の日本には手に負えない技術、原子力から即時撤退すべきである。

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