2012年3月12日月曜日

自由と民主主義


自由と民主主義


#80  自由の剥奪

原子力は私たちの自由を奪い、私たちの基本的人権を制限する。
使用済み核燃料のキャスク運搬に反対するデモが迫ると、当局はただちに集会の自由と
いう基本的人権を数 km2 の広さにも及んで制限し、平和的な抗議も警察の力で排除する。
道路閉鎖の柵がその地域全域を封鎖し、市民は氷点下のなか何時間も拘束され、一部で
はトイレの準備すらない。長期間にわたり公安は、反原発主義者をテロリスト扱いして監視
や尾行を行い、電話を盗聴し、家宅捜索を行っている。警察は数千人のデモ参加者を、不
法に、裁判所による審査もなしに、小部屋、営舎、車庫、体育館や、それどころか鉄の檻の
中に、ときには数日間も拘留する。
ここで私たちの基本的人権を制限するのは、どのような権利に基づくものだろうか?

#81  生存権

原子力は生存権を侵害する。
原子力発電所は、私たちの生存権と身体を害されない権利を脅かす。それゆえ、ドイツ連
邦憲法裁判所は「カルカー判決」において、原子力発電所の稼動を「変動的原則」と結びつ
けた。
この判決によれば、原発の安全対策は、まず第一に、科学と技術の最新の状況に常に適
合していなくてはならない。第二に、原子炉は、想定しうるかぎりのあらゆるリスクから保護
されなければならない。このどちらも残念ながらなされていない。
それにもかかわらず、いまだどの監督官庁も、原子力発電所の稼働許可を取り消してい
ない。

#82  警察の暴力

原子力反対の抗議活動を阻止するために国家は暴力を行使する。
うまく反論できない者には、暴力しか残されていない――警察はこれまでに数万人の市民
に対し、警棒で、足蹴りで、拳で、放水車で、格闘技の絞技で、ペッパースプレーで、ガス榴
弾で乱暴に扱い、負傷させ、これまでに 2 名が死亡している。この 2 人は何をしたのか?
彼らは反原発のデモを行ったのだ。

#83  50 年間の争い

原子力は、数十年にわたり社会を分裂させる。
1950 年代にドイツで最初の原子炉が建設されて以来、原子力にまつわる対立がある。な
ぜなら原子力は生命を脅かすからだ。これは今日まで何も変わっていない。それゆえ完全
な、事実上の脱原発だけが、この対立を終わらせることができる。
電力コンツェルンは 2000 年 6 月 15 日、いわゆる「脱原発合意」において段階的な脱原
発に同意し、署名により国と契約した。その代償として彼らは、かなり多くの見返りをもらっ29
た。EnBW、E.ON、RWE、Vattenfall の電力コンツェルン 4 社は、いまやあらゆる策略や
ロビー活動などのイニシアチブによって、合意した期間よりも原子力発電所を長く稼動させ
ようと試みているが、それは彼らが「脱原発合意」と契約を破っていることに他ならない。

#84  コンツェルンによる政治

電力コンツェルンの政治への影響力が大きすぎる。
産業と政治がこれほど密接に、互いに絡み合っている分野は、エネルギー産業以外では
他に見あたらない。多くの政治家、上級公務員は、まず企業の意向に沿った政治を行い、
その後、その企業で非常に有利なポストに天下ったり、契約を得たりする。ヴォルフガンク・
クレメント、ヨシュカ・フィッシャー、ゲラルト・ヘネンヘーファー、ヴァルター・ホーレフェルダー、
ヨアヒム・ランク、オットー・マイェフスキ、ヴェルナー・ミュラー、ゲアハルト・シュレーダー、ア
ルフレート・タッケ、ブルーノ・トマウスケ、ゲオルク・フライヘア=フォン=ヴァルデンフェル
スらが代表的だ。また、現職の国会議員(レッツォ・シュラオホ、グンダ・レステルなど)も、電
力コンツェルンやその子会社で収入を得ている。
コンツェルンの権力は、民主主義の弊害になる。

#85  国民の白痴化

「原子力がなければ電気が消える」という作り話を、電力コンツェルンは 30 年以上も語り続
けている。
「太陽光や水力、風力では、わが国の電力需要の 4%以上を長期にわたって賄うことはで
きない」。これは、ドイツの電力コンツェルンが 1993 年の半ばに行っていた全国の新聞各
紙への広告内容である。しかし事実はこれに反する――2009 年にドイツで消費された電力
の 16%以上が、再生可能エネルギーで生産され、はやくも 2020 年にはその割合は 50%
になりうる。今世紀半ばまでには電力供給の 100%を再生可能エネルギーで賄うことも可
能だ。
それにもかかわらず電力コンツェルンは、彼らの原子力発電所の残りの稼動期間を延長
させるために努力し、今日でも「長期の停電」が差し迫っているという作り話を吹聴している。
誰がそれをいまだに信じるのか?

#86 望ましくないこと

誰も原子力発電所の隣に住みたくない。
ドイツ原子力産業フォーラムが委託したアンケート調査を信じるならば、原子力はもうすぐ
再び社会に受け入れられるという。しかし、Emnid 世論調査研究所が 2008 年半ばに得た
回答のほうが、より信用でき、訴える力が大きいだろう――回答者の 3 分の 2 以上が、自分
が住んでいる地域への新たな原子力発電所の建設を拒んでいる――たとえそれと引き換え
に、一生電気代が無料になったとしても。30

#87  倫理

原子力の利用は倫理に反する。
原子力発電所は、わずかな人びとが、わずかな時間しか利用できないのに、非常に多く
の人の命と健康に大きなリスクを背負わせる。原子力発電所は、数十万年も安全に保管し
なければならない核廃棄物を後世に残す――この先の 4 万世代にとって、想像できないほ
ど重い負の遺産である。

ボーナス  #115  法の保護なし

未来の世代は、法によって核の危険から保護されない。
最終処分場から何かが漏出すれば、それはまず第一に未来の世代に被害を与える。し
かし、もし現在の監督官庁が未来永劫の長期間にわたる安全保護についての見通しを見
誤ったりしても、それを誰一人として法廷で訴えることはできない。なぜなら千年後に放射
性物質が再び地上に顔を出しても、その原因を作った原告自身はすでに存在しないからだ。
そして、将来の世代の損害は、法廷では主張することができなくなる。このことについて、
リューネブルク上級行政裁判所は、計画されていたコンラート坑道の最終処分場を巡る訴
訟の中で良しと判断し、それを連邦憲法裁判所が追認した。忘れてはならない――核廃棄
物は法治国家すら消滅させるのだ。

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