原子力事故
原子力事故(げんしりょくじこ)とは原子力関連施設での放射性物質や放射線に関係する事故のこと。放射性物質や強力な放射線が施設外へ漏れ出すと、人々の健康・生活や経済活動に大きな被害をもたらす恐れがある。原子力関連施設内での事故であっても、放射性物質や放射線の閉じ込めにまったく無関係なトラブルは原子力事故とは呼ばない。
一般に原子力発電所などで不測の事態が発生した場合には、国際原子力事象評価尺度 (INES) による影響度の指標が「レベル0」から「レベル7」までの8段階の数値で公表されることになっている[1]。本項目ではINESレベル4未満の事象も含めて記述するが、日本の原子力事業者はINESレベル4以上に限って「事故」と呼んでいる。
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事故と異常事象 [編集]
日本の原子力関連施設では、放射性物質が環境中へ放出されて公衆の健康を害する恐れが生じた場合やそれ以上を「事故」と呼び、そのような状況に至らない施設内での不測の事態は「異常事象」と呼んで区別している[2]。
原子力事故の原因と結果 [編集]
炉心溶融(メルトダウン) [編集]
詳細は「炉心溶融」を参照
燃料棒は核燃料を円筒状の耐熱ジルコニウム合金(ジルカロイ、融点約2,500℃)の容器に入れ、多数個まとめたものである。炉心では非常に大量の崩壊熱を出しているため、冷却機能が失われるとジルカロイから発生した水素による水素爆発の虞のほか、燃料棒(燃料集合体)が溶解・崩壊し、圧力容器の底に残った冷却水と反応して水蒸気爆発を起こす危険性がある[3]。さらに燃料が原子炉の底を溶かし(溶融貫通=メルトスルー)炉外に漏れ出す危険や、それの冷却水等または地下水脈との反応による[要出典]水蒸気爆発や地下水脈への放射性物質の流出[* 1]による大規模な放射能汚染、更には再臨界などの虞もある。
実際に事故が炉心溶融までに至った例としては、1979年のスリーマイル島原子力発電所事故(アメリカ合衆国)、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故(ソビエト連邦、現ウクライナ)、2011年の福島第一原子力発電所事故(日本・現在進行中)などが挙げられる[4]。
水素爆発・水蒸気爆発 [編集]
原子炉や原子炉格納容器・原子炉建屋に水素がたまると酸素と結合して爆発することがある。水蒸気の発生でも爆発することがある。爆発すると遮へいをなくした放射性物質が外部に放出される。それを防ぐために「ベント(弁を開いて気体を逃がすこと)」を行うが、緊急時はフィルターを通さずにベントしたり、間に合わなかったりする[* 2]。
冷却材喪失事故 [編集]
詳細は「冷却材喪失事故」を参照
原子炉からは何らかの手段で熱を取り去る必要があるが、冷却剤が(地震などによる)配管の破断で喪失する、循環系ポンプが故障等に陥る、冷却数の取水が不足する、などした場合、炉心が加熱、これが炉心溶融に繋がり大事故に発展する危険性がある[* 3]。また、非常用炉心冷却装置(ECCS)が必ずしも動作するとも限らない。なお、原子炉の臨界終息後も核分裂生成物の熱崩壊[* 4]による熱を取り去るために冷却を継続する必要がある[5][6]。ちなみに小規模な原子炉は必ずしも系統だった冷却を必要としていない[7]。
計器の異常、マニュアルの誤り、人間のミスなど [編集]
計器もマニュアルも人間が作るものである以上、設計ミス、製造ミス、チェックミス、操作ミス、故障などが起こり得る。また運転員や管理者はマニュアルに沿って運転するため、それが必ずしも状況に即した適切な対応となるとも限らず、想定外の事象が起こった場合に事故を加速する動作になることがある。
実際にスリーマイル島原子力発電所事故では各種の警報が一斉に発せられた結果それらのプリントアウトが間に合わなくなり100分も遅延し[8]、非常給水弁の開け忘れ、「マニュアル通りの」主冷却剤ポンプ停止措置などが事態を深刻化させた[9]。また、1977年9月にはアメリカのコロラド州で、1980年12月にはオーストラリアのシドニーで、放射性物質を運搬中の車両が交通事故を起こした例がある[10]。
臨界事故 [編集]
詳細は「臨界事故」を参照
- 原子力発電の安全性は臨界を制御できるかどうかにかかっている。制御されない臨界は一種の核爆発(原爆にはならず、東海村JCO臨界事故や「不完全核爆発」)となる。
- 高濃度の放射性物質が集まり核反応が連鎖的に続く状態になることを臨界という。きちんと遮蔽された原子炉以外の場所で臨界が起こると、その場所から周囲に中性子が放射される。中性子は構造物を貫きやすく、通常の防護服や防護機材さえ貫通して、長距離(数百m - 数km以上)にわたって生物の細胞を損傷する。また、中性子により普通の原子が放射性原子に変化する中性子放射化が起こる。
原子力施設の停電 [編集]
原子力施設の停電が問題である。電源が失われると冷却が出来なくなり、蒸発で水が失われ重大事故(冷却材喪失事故)となり、そのままだと炉心溶融の上で水蒸気爆発または水素爆発により大量の放射性物質が外部に漏れる虞がある。また放射性物質貯蔵システムでも崩壊熱が出続けているため、当面の間(数年以上)は冷却の必要がある。電力が失われれば状況も不明になり、制御も困難となる。原子力施設における全電源喪失をステーションブラックアウト(Station Blackout、SBO)という。
原子力施設を支える命綱には通常
- 「所内交流電源系」
- 他の原子炉につながっている
- 「外部電源系」
- 外部から引き入れているいわゆる普通の電力
- 「非常用ディーゼル発電機
- 動作するのは 2 - 4日[要出典]
- 「非常用バッテリー」
- 容量4時間(施設によって異なる上に、劣化が早く検査、交換ミスが大きく影響する)
の4系統がある。
原子炉保安指針[11]では全ての電源系が停止するのは「『ニューヨークに』隕石が直撃する確率」として扱われていた[* 5]が、広域で長時間外部電源系が停止した事例は以下の如く、必ずしも珍しくない。また、2010年6月17日「東京電力福島第一原子力発電所2号炉緊急自動停止」事故では、30分以上内部電源系も動作していない[* 6]。
茨城県で高圧(基幹)送電線鉄塔が強風で倒れた事故[要出典]、川を渡る高圧送電線が船のクレーンで全て切られた事故(2006年首都圏大規模停電)[* 7]などもあった。停電事故では、地域の全系統が長時間(数時間から数ヶ月)停電する(ブラックアウト)[* 8]ので、複数系統からの受電が原子炉運転上意味をなさないことがある(2003年北アメリカ大停電、1989年太陽フレアによるカナダケベック州の長期広域停電)[* 9]など。
冷却系の損傷 [編集]
- 冷却系の損傷は重大事故を招くため、いくつか予備系がある。1つは原子炉の蒸気を使う原子炉隔離時冷却系 (RCIC) 、もう一つはECCSと呼ばれる非常時に大量の水をシャワーする系統である。他にも中性子を止めるホウ酸を注入する系統もある。[* 10]
- 2007年柏崎刈羽原子力発電所事故では、スクラム後の3、4号機の冷却をする系統が動かず、1系統で食い止めた[要出典]。
- 原子炉の冷却は、最終的には海水、河川水、空気(冷却塔)によってなされる。だが、冷却に適した清浄な水や空気が常に供給されるとは限らない。津波、洪水、地震、クラゲ、赤潮、漂流物などで取水口・排水口・配管が塞がれる可能性があり、また、旱魃の時には長江(揚子江)やライン川のような大きな川からでさえ取水が困難になる場合があり得る。火山灰、軽石や亜硫酸ガスの来襲は複合的な困難を招く[要出典]。原子炉が川または海の近くに置かれることから、事故や故障の時は河川水や海流によって被害地域が拡大するおそれがある[要出典]。
冷却パイプの問題 [編集]
- 原子炉内部を冷却するパイプは、(1)細い(2)薄い(3)曲がっている(4)中性子などに曝されている(5)圧力が高い(6)密集している(7)ナトリウム冷却の場合、腐食性が高い(通常は徹底的に不純物を除いた水を用いる)(8)施工不良[* 11]などの悪条件が重なっている。経年変化、不純物、格子欠陥、振動、地震などの条件があると、設計寿命のかなり前に詰まったり破断したりする。定期検査によって全てのパイプを徹底検査できない[* 12][* 13]ため、事故が起きる。挙動が複雑なので、固有振動の計算が困難で(設計時には可能だが、条件の変化が大きい。古い設計ではかなり省略して計算している)想定外のひずみや圧力の集中が起こり、ひび割れや破断が起きることがある。
- パイプの材質は万全ではない。エロージョン/コロージョン(壊食/腐食、E/C)により内面減肉(配管の厚みが減ること)が一部に起こり(局部減肉)穴が開いたり亀裂ができる。場所の予想は困難であり、年間数mmの速度であるので時期の予測も困難であり、検査漏れが大きな事故を招きやすい。これは炭素鋼の弱点であるが、低合金鋼で対処が困難な場合にオーステナイト系ステンレス鋼にすると応力腐食割れを起こす。この問題は火力発電所・石油化学・一般化学プラントなどと共通の未解決問題である[12]。
ナトリウム事故 [編集]
原子炉の熱を運び出し、タービンを回すための冷却剤として使われるのは通常、水(H2O、軽水ともいう)、重水 (D2O) および液体金属ナトリウム (Na) である。しかし、液体ナトリウムは水分や空気に触れると爆発する性質を持ち、腐食性も高い[* 14]。また、別の元素が混入すると硬化し冷却困難となる場合がある[要出典]。[* 15]
反応係数 [編集]
個々の事象の反応係数は、場合によって異なる。「制御棒を入れると必ず反応が低くなる」わけでもないし、水素の泡(ボイド)の発生や燃料棒や制御棒の抜き差しの速さなどによっても、原子炉の挙動は変化する。当直運転員や管理者が全ての挙動を把握しているわけではないので、事故の時に適切な対処が出来るとは限らない。
制御棒の出入り口など [編集]
原子炉及び格納容器内部は完全に閉じ込められているわけではない。まず炉心冷却剤の出入りの太いパイプがあり、各種緊急冷却系、計測器、制御棒、消火系、電力計、通信系などの穴が開いている。それらは格納容器と同等の耐熱性、耐久性、強度を持っているわけではないため、事故の原因となるおそれがある。
主な原子力事故(軍事以外) [編集]
日本国内 [編集]
レベル7(最悪レベル)の事故 [編集]
福島第一原子力発電所炉心溶融・水素爆発事故 [編集]
詳細は「福島第一原子力発電所事故」を参照
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、東京電力福島第一原子力発電所で圧力容器内の水位が低下。炉心が高温になるも、非常用電源の故障で緊急炉心冷却システムも作動せず、水蒸気爆発の可能性が高まった。そのため、弁を開いて放射性物質を含んだ水蒸気を大気中に放出した。この作業により、敷地境界域で1015 μSv/hの放射線を確認。燃料棒も一部溶解。日本初となる原子力緊急事態宣言が発令され、周辺半径20kmの住民には避難指示が出された[13]。
3月12日、午後3時半頃、福島第一原子力発電所1号機で爆発音がして白い煙が上がった。東電社員2人と協力企業の2人が負傷し、病院に搬送された。建築物の外壁が無くなり骨組みが露出。同日夜、記者会見した枝野幸男官房長官によると、「爆発で崩落したのは外側の建屋で、中の原子炉格納容器は無事。何らかの理由で格納容器から漏れ出た水素が建屋内の酸素と結び付き、爆発したとみられる。」と発表[13]。
経済産業省原子力安全・保安院は12日、国際原子力事故評価尺度 (INES) の暫定値で、「局所的な影響を伴う事故」とするレベル4に当たることを明らかにした。東海村JCO核燃料加工施設臨界事故と同レベル[14]。 経済産業省原子力安全・保安院は1 - 3号機の事故の深刻さを示す国際評価尺度 (INES) を、8段階のうち3番目に深刻な「レベル5」にすると発表した[15]。
- 2011年11月30日、東京電力は炉心の解析状況を発表した。
- 1号機・・14時間の断水で、燃料は3000度に達し、68tの燃料がすべて溶けて鋼鉄製の圧力容器を抜けて格納容器下部にたまった。さらにコンクリートの床も最大65cm浸食した可能性がある。外側の鉄板までの残りは37cmである。
- 2号機は57%、3号機は63%の燃料が格納容器外へ落下した可能性がある。
- エネルギー総合工学研究所の解析では、1号機の燃料は85%が落下し格納容器の床のコンクリートも2m浸食され、圧力容器が傾いている可能性を指摘した。2.3号機も70%の燃料が落下したという。
- 原子力安全基盤機構は、1号機の圧力容器は破損したが、2,3号機は健全であるとしている。
レベル4の事故 [編集]
- 1999年9月30日 東海村JCO核燃料加工施設臨界事故
- 日本で3番目の臨界事故で、作業員2名が死亡。レベル4[17]。
レベル3以下の事故 [編集]
- 1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
- 日本で最初の臨界事故とされる。
- 戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け、午前3時から、出勤してきた副長が気付きゆっくり修正し終わる10時半までの7時間半臨界が続いたとされる。
- 沸騰水型の原子炉で、弁操作の誤りで炉内圧力が高まり、制御棒が抜けるという本質的な弱点の事故。この情報は発電所内でも共有されず、同発電所でもその後繰り返され、他の原発でも(合計少なくとも6件)繰り返される。1999年志賀原発事故も防げたかも知れず、本質的な弱点なので、世界中の原子炉で起こっている可能性がある。
- 特に重要なのが、1991年5月31日の中部電力浜岡3号機の制御棒が同様に3本抜けた事故である。中部電力は1992年にマニュアルを改訂した。「国への報告はしなかったが、他電力へ報告した。」と主張した。
- 事故発生から29年後の2007年3月22日に発覚、公表された。東京電力は「当時は報告義務がなかった」と主張している。
- 1989年1月1日 東京電力福島第二原子力発電所3号機事故
- 原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量の金属粉が流出した事故。レベル2。
- 1990年9月9日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
- 主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。レベル2。
- 1991年2月9日 関西電力美浜発電所2号機事故[18]
- 蒸気発生器の伝熱細管[* 16]の1本が破断し、55トンの一次冷却水が漏洩し、非常用炉心冷却装置 (ECCS) が作動した。レベル2。放出量0.6キュリー。
- 1991年4月4日 中部電力浜岡原子力発電所3号機事故
- 誤信号により原子炉給水量が減少し、原子炉が自動停止した。レベル2。
- 1997年3月11日 動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故
- 低レベル放射性物質をアスファルト固化する施設で火災発生、爆発。レベル3。
- 1999年6月18日 北陸電力志賀原子力発電所1号機事故
- 定期点検中に沸騰水型原子炉 (BWR) の弁操作の誤りで炉内の圧力が上昇し3本の制御棒が抜け、想定外で無制御臨界になり、スクラム信号が出たが、制御棒を挿入できず、手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。点検前にスクラム用の窒素を全ての弁で抜いてあったというミスと、マニュアルで弁操作が開閉逆だったと言うのが、臨界になる主な原因であった。
- 所長も参加する所内幹部会議で隠蔽が決定され、運転日誌への記載も本社への報告も無かったとされる。当時の所長代理は、発覚時点で常務・原子力推進本部副本部長=安全担当、志賀原発担当。総点検の聞き取りに対しては事故を報告しなかった。
- 原発関連の不祥事続発に伴う2006年11月の保安院指示による社内総点検中、報告が出た結果、2007年3月公表に至った。レベル1 - 3。
- 日本で2番目の臨界事故とされる。
- 日本原子力技術協会が、最悪の事態を想定して欠落データを補完した研究によると、定格出力の15%まで出力が瞬間的に急上昇した即発臨界であった可能性がある。ただし、燃料中のウラン238が中性子を吸収し、それ以上の事態になる可能性はなかったという。
- この事故に関して、一部マスコミ等で「制御棒が落下した」「沸騰水型原子炉の制御棒は下から挿入されるので、水圧が抜けると落下する危険がある」との誤解があったが、実際は「水圧装置の誤作動により、引き抜き動作が行われた」であり、重力の影響で落下したのでないことに注意が必要である。
その他の有名な事故 [編集]
- 1973年3月 関西電力美浜発電所燃料棒破損
- 美浜一号炉において核燃料棒が折損する事故が発生したが、関西電力はこの事故を公表せず秘匿していた。この事故が明らかになったのは内部告発によるものである。
- 1974年9月1日 原子力船「むつ」の放射線漏れ事故
- 1995年12月8日 動力炉・核燃料開発事業団高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故
- 2次主冷却系の温度計の鞘が折れ、ナトリウムが漏洩し燃焼した。レベル1。この事故により、もんじゅは15年近く経った2010年4月まで停止を余儀なくされた。
- 1998年2月22日 東京電力福島第一原子力発電所
- 第4号機の定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチ約15cm)抜けた。
- 2004年8月9日 関西電力美浜発電所3号機2次系配管破損事故
- 2次冷却系のタービン発電機付近の配管破損により高温高圧の水蒸気が多量に噴出。逃げ遅れた作業員5名が熱傷で死亡。レベル0+。
- 2007年7月16日 新潟県中越沖地震に伴う東京電力柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故
- 同日発生した新潟県中越沖地震により、外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし、微量の放射性物質の漏洩が検出された。この地震により発生した火災は柏崎刈羽原子力発電所1箇所のみであるとされる。
- 震災後の高波によって敷地内が冠水、このため使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失している。
- 全ての被害の詳細は2007年10月現在もなお調査中である。この事故により柏崎刈羽原子力発電所は全面停止を余儀なくされた。
- 2007年11月13日、経済産業省原子力安全・保安院はこの事故をレベル0-と評価した。
- 2010年6月17日 東京電力福島第一原子力発電所2号炉緊急自動停止
- 制御板補修工事のミス[* 17]があったが、常用系電源と非常用電源(常用系から供給されている)から外部電源に切り替わらず、冷却系ファンの停止を招き、緊急自動停止(トリップ)した。電源停止により水位が2m低下した。燃料棒露出まで40cm(単純計算で6分)であった。トリップ30分後に非常用ディーゼル発電機2台が動作し、原子炉隔離時冷却系[* 18][19]が動作し、水位は回復した[20][* 19][* 20]。
日本国外 [編集]
代表的な事故 [編集]
- 1952年12月12日 チョーク・リバー研究所事故
- 1947年にカナダオンタリオ州(オタワの北西150km)に建設された出力4.2万KWの実験用原子炉NRXの事故である。操作ミスで制御棒が引き抜かれ、1万キュリーまたは370テラベクレルの放射能が外部に漏れた。その後1993年まで稼働していた[21]。
- 1957年9月29日 ウラル核惨事
- 旧ソビエト連邦ウラル地方カスリ市(現在はウクライナ共和国)のほど近くに建設された「チェリヤビンスク65」という暗号名を持つ秘密都市の、「マヤーク」(灯台の意味)という兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための原子炉5基および再処理施設を持つプラントで起こった事故。プルトニウムを含む200万キュリーの放射性物質が飛散した。放射性物質の大量貯蔵に伴う事故の危険性を知らせた事故である。原子力における冷却不能が(廃棄物であっても)爆発大事故につながった事故であり、福島第一原子力発電所事故にもつながっている。
- 当初この事故は極秘とされていたが、西側に亡命した科学者であるジョレス・A・メドベージェフが1976年に英科学誌「ニュー・サイエンティスト」に論文を掲載したことで知られるようになった。
- 1957年10月10日 ウィンズケール火災事故
- 世界初の原子炉重大事故。イギリス北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケイル原子力工場(現セラフィールド)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。避難命令が出なかったため、地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け、数十人がその後白血病で死亡した。現在の所白血病発生率は全国平均の3倍である。当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。現在でも危険な状態にある。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロメートルを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名である。水素爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島でも繰り返された。
- 1959年7月13日 サンタスザーナ野外実験所燃料棒溶融事故
- カリフォルニア州ロサンゼルス市郊外約50kmのシミバレーにあったナトリウム冷却原子炉の燃料棒が溶融した。1500-6500キュリーのヨウ素131と1300キュリーのセシウム137が環境中に放出されたとされる。1960年に閉鎖されその後解体された。1979年に学生が偶然資料を発見し公表するまで極秘であり、2011年8月現在エネルギー省のサイトに一切情報がない。
- 1996年にプルトニウム239とコバルト60、2011年にセシウムがそれぞれ規制値の数倍から数百倍検出された。
- 1961年1月3日 SL-1事故
- なお原子炉は暴走したものの、その後減速材である軽水が失われたため自然に停止したと考えられている。また、冷却材が失われても炉心が溶融しなかったのは、炉の出力が小さかったためとも考えられる。
- 事故が起きたのは午後9時であり、当時夜勤で3人の運転員がいたが2人は即死であったと考えられる。事故発生後に救出隊が駆けつけたときは放射線の強さが非常に強く、1時間半は現場に近づく事さえできなかった。現場に入ると制御室には2人がおり、その内の2人がまだ生きていて救急車で搬送されたが、搬送中に死亡した。事故から数日後に残りの1人が原子炉の暴走により飛び出した制御棒に胸を貫かれ、天井に貼り付けにされた状態で発見された。
- 3人の遺体は、露出していた頭部や手などが余りにも汚染度が激しかったため、切断して高レベル放射性廃棄物として処理しなければならなくなった。搬送に使用した救急車も放射能に汚染されてしまったために、後に放射性廃棄物として処分しなければならなくなった。
- チェルノブイリ原子力発電所事故が起きるまでは原子炉で死者が出た唯一の事故として知られていた。この事故により制御棒の設計は見直され、放射線汚染の際の対処方法も開発された。[22]
- 1963年10月フランスのサン・ローラン・デ・ゾー原子炉で燃料溶融事故
- 1966年10月5日 エンリコ・フェルミ1号炉
- エンリコ・フェルミ炉はアメリカのデトロイト郊外にあった高速増殖炉試験炉である。1966年10月5日に炉心溶融を起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている[* 21]。後にこの事故について書かれたドキュメンタリーのタイトルには、『我々はデトロイトを失うところであった』と書かれた。
- 1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故
- アメリカ・スリーマイル島原子力発電所の炉心溶融事故。レベル5の事故であり、不完全な設備保全、人間工学を重視していない制御盤配置、そして中央制御室運転員の誤判断等が重なって発生した。当初は外部へ放射性物質が大量に放出されたとの報道もあった。この事故の影響により、アメリカ政府は新規原発建設中止に追い込まれた。アメリカではこの事故を契機にトラブルや運転等の情報を共有する組織としてアメリカ合衆国原子力研究所 (INPO) が結成され[23]、その後の原子力発電所の安全性向上に寄与することとなった。
- 1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故
- ウクライナ共和国チェルノブイリ原発4号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出されたレベル7の深刻重大な事件。事実上、史上最悪の原子力事故である。無許可での発電実験中、安全装置を切り制御棒をほとんど引き抜いたために出力が急上昇して起こったとされている。放射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をもたらした。直接の死亡者は作業員・救助隊員の数十名だけであるが、がんなどの疾病を含めると、数万から数十万にのぼるとされていた。2005年に発表された世界保健機関 (WHO) 等の複数組織による国際共同調査結果では、この事故による直接的な死者は最終的に9,000人との評価もある。2000年4月26日に行われた14周年追悼式典では事故処理に従事した作業員85万人のうち、5万5,000人が死亡したと発表されており、WHOの評価とは大きく食い違っている。この事故を契機に国際的な原子力情報交換の重要性が認識され、世界原子力発電事業者協会 (WANO) が結成された。
沸騰水型原子炉の臨界事故 [編集]
- 1973年11月、バーモントヤンキー原発(米バーモント州)
- 検査のため抜いた状態だった制御棒の隣の制御棒を誤って抜き、炉心の一部が臨界。圧力容器と格納容器の蓋は開けたままだった。
- 1976年11月、ミルストン原発1号機(米コネティカット州)
- 臨界は炉心スクラムで止まった。
- 1987年7月オスカーシャム原発3号機(スウェーデン)
- 制御棒の効果を調べる試験中に制御棒を抜いていたところ想定外の臨界状態になったが、運転員が気付くのが遅れ、臨界状態が続いた。
その他の事故 [編集]
- 1987年9月、ゴイアニア被曝事故
- ブラジルのゴイアニア市で発生した放射能汚染事故。閉鎖された病院に放置されていた放射線療法用の医療機器から放射線源が盗難に遭い、地元のスクラップ業者によって解体された事で内部のセシウム137が露出。暗闇で光るという特性に好奇心を持った人々が自宅に持ち帰るなどした事で、貧民街を中心に汚染が広がった。同年の12月までに250人が被曝し、4人が急性放射線障害で死亡した。翌年の3月までに汚染がひどかった家屋7軒が解体され、周辺の土壌交換などが行われた。
- 2008年7月7日、トリカスタン原子力発電所事故
- 7日の夜から8日にかけて、フランス・アヴィニョン北部ボレーヌ市に接するトリカスタン原子力発電所において、ウラン溶液貯蔵タンクのメンテナンス中、 タンクからウラン溶液約3万リットルが溢れ出し、職員100人余が被曝し、付近の河川に74kgのウラニウムが流れ出した。原発は一時閉鎖され、水道水の使用や河川への立ち入りが禁止されるなどした[24][25]。フランス原子力安全庁は事故レベルを0としている。
主な軍事原子力事故 [編集]
旧ソ連 [編集]
原子力潜水艦 [編集]
- 1961年7月4日 K-19(ソ連海軍初の原潜、ホテル級原子力潜水艦) 一次冷却系の圧力低下によって生じた事故である。10名が死亡した[* 23][* 24]。
- 1968年3月8日 ハワイ沖でゴルフ型潜水艦K-129が沈没した。核ミサイル3発搭載[* 25]。
- 1968年5月 ノヴェンバー級原子力潜水艦 液体金属冷却剤の硬化。9名死亡。燃料の20%損傷[* 26]。
- 1969年11月15日K-19バレンツ海で米スレッシャー級のガトーと衝突した。
- 1970年4月11日。ビスケー湾4,700 m。ノベンバー級K-8。52名死亡した
- 1970年6月 エコー2型原子力潜水艦が米「トートグ」と衝突、ソ連側が沈没した。
- 1971年3月 ソ連沿岸で米ソ原潜が衝突、詳細不明となった。
- 1972年2月24日 K-19ニューファンドランド沖1,200 kmで火災事故。28名死亡した。
- 1974年5月 ソ連沿岸で米ソ原潜が正面衝突した。
- 1979年7月 太平洋艦隊で冷却水漏れ[* 27]。
- 1981年8月 沖縄沖でエコー1型原子力潜水艦艦内で火災が発生し、9名以上が死亡した[* 28]。
- 1983年 チャーリー1型原子力潜水艦の原子炉室に浸水し、16名が死亡した[* 29]。
- 1985年8月10日正午頃 エコー2型K-431。ウラジオストック近郊チャジマ湾の船舶修理工場で燃料棒交換中に、原子炉の誤操作で炉心の核反応が高まり原子炉が爆発した。10名が即死、290名が被曝した。500万キュリーの放射能を持つ放射性の塵と、200万キュリーの放射能を持つ放射性の希ガス類が流出し、北西30kmに渡り拡散したとされる[* 30][* 31]。
- 1985年12月 ウラジオストック近郊で冷却水漏れとメルトダウン事故が起きた。
- 1986年夏 エコーII級 一次冷却回路に別の元素が混入した。
- 1986年夏 ヴィクター級原子力潜水艦でメルトダウン事故が起きた可能性が疑われている。
- 1986年10月9日 バミューダ諸島沖でヤンキー級原子力潜水艦K-219で何らかの事故が発生し、米国沖で火災により沈没した。この艦は核ミサイルを搭載しており、核弾頭34基も海中に没した疑いがあった[26]。
- 1989年4月 ノルウェー沖1,685mでマイク級原子力潜水艦K-278「コムソモレッツ」で火災が発生し沈没した。40数名が死亡した。核兵器2個が海没したとされる。
- 1993年 燃料棒交換時に使用済み核燃料を入れてしまったため、数名が被曝した。
- 2000年8月 オスカーII型原子力潜水艦の「クルスク K-141」 (18,000t) が、炉心に約2トンの核燃料を搭載したままバレンツ海の110mに沈没した。118名が全員死亡した。
ソ連は旧式化した原子炉を少なくとも日本海に4基、北極海に17基投棄している。放射性廃棄物も多数海洋投棄している事実が発覚している。
旧ソ連体制が崩壊する前後当時のロシア社会の大変革期には、ミハイル・ゴルバチョフ書記長がペレストロイカやグラスノスチ政策によって軍組織に情報公開を迫ったことや、原子力潜水艦自体ほとんどが退役していたか、書類上は現役であっても多くが稼動不可能な状態にあったこと、東西冷戦終結によって戦略核戦力のすべてを秘匿し維持し続ける必要性が失われたことなどから、こうした旧ソ連の原潜に関する情報が公表されるようになった。
その他 [編集]
- 1965年2月 原子力砕氷艦「レーニン」の原子炉の冷却水が失われ暴走。多数の死傷者を出した。事故を起こした原子炉は2年後に北極海へ投棄した。
- 1978年1月24日 原子炉を搭載した海洋偵察衛星「コスモス954号」がカナダ北西部に墜落。広範囲に放射能を帯びた破片が飛散。カナダに対し損害賠償として300万ドルを支払い。
- 2011年12月29日ムルマンスクのドックで修理中のデルタ級原子力潜水艦「エカテリンブルクK-84」(排水量約1万2000t)で足場用の木材から火災が発生し20時間燃え続けた[27]。その後の報道で魚雷[28]と核弾頭搭載のSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)[29]も艦内あったという[30]。 ロシアはほぼ一昼夜1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故以来最悪の核事故が起きる瀬戸際にあったという。
西側諸国 [編集]
航空機事故 [編集]
- パロマレス米軍機墜落事故・・1966年1月17日米軍のB-52G戦略爆撃機がスペイン南部の沿岸上空で空中給油機と衝突し、4個の水爆が地上と海中に落下した。そのうち2個の水爆の起爆装置が地上で爆発し、プルトニウムとウラニウムが飛散した。1,500トンの土が回収されたが、2008年の調査では、30ヘクタールの5万立方メートルに500gのプルトニウムが深さ5mまで残っている。
原子力潜水艦 [編集]
- 1963年4月10日 米パーミット級原潜「スレッシャー」、大西洋ニューイングランド沖2,500 mにて沈没した。原子炉緊急停止。1962年6月の衝突事故と海面下の内部波の関与が疑われる。129名が死亡した。後の潜水調査で、残骸からコバルト60が検出されている。
- 1965年5月22日 米スキップジャック級原潜「スコーピオン」、大西洋3,000 mにて沈没した。沈没原因の詳細は不明である。核兵器2個搭載。99名が死亡した。
- 1994年3月30日 仏リュビ級原潜。トゥーロンから80 km。蒸気爆発のため、10名が死亡した。
フィクション [編集]
- プロメテウス・クライシス(The Prometheus Crisis) - トーマス・N.スコーシアとフランク・M.ロビンソンによる1975年のアメリカの小説。巨大原子力発電所が事故を起こしロサンゼルスを死の灰が襲う。
- チャイナ・シンドローム - 1979年公開のアメリカ映画
- チェーン・リアクション - 1980年公開のオーストラリア映画
- ゴルゴ13 第213話「2万5千年の荒野」 - 日本のシリーズ漫画の、1984年に発表された当エピソードでは、南カリフォルニアで操業を開始した原子力発電所にメルトダウンの危機が迫る。ゴルゴ13は貯まった水蒸気を逃がすために原子炉内のパイプを狙撃する。
- みえない雲 - 1987年発表のドイツのヤングアダルト向け小説。2006年には映画化された
- 一九九九年地球壊滅 - 1988年発表の桐山靖雄による日本の小説。世界4ヵ国にある5ヵ所の原子力発電所が爆破され、世界中に死の灰が広がる。
- 第五惑星アスカ - 1989年発表の日本のライトノベル
- ザ・ホワイトハウス シーズン7第12話「Duck and Cover」 - アメリカのテレビドラマシリーズの、2006年1月に放送(日本では2009年に放送。和題は「メルトダウンの危機」)された当エピソードにおいて、カルフォルニアの原子力発電所で事故が発生する。
- COPPELION - 2008年より連載が続いている日本の漫画
注釈 [編集]
- ^ 地下水脈は地域全体につながる上に海につながっていることがある。老朽化した原発で原子炉建屋に海水が逆流しているという報道がある。
- ^ 爆発物を用いてベントすることは絶対あり得ない。
- ^ 危険性については諸説あるが著名なラムスッセン報告(WASH-1400)では100万kW級の原子炉一基あたり100万年に1回以下としている。
- ^ 高木仁三郎 『プルトニウムの恐怖』 によれば、原子炉出力の2割に達する。
- ^ 「WASH-1400」という報告(ラスムッセン報告)の解析結果によるところが大きい。イベントツリーを用い、複合事象を独立事象の確率の積とする解析方法の妥当性については当時から懸念されていた。
- ^ 多重系を設置した場合、切り替えの検出と切り替え器で問題が起こることがあり、確率の積にはならないことが知られている。きわめて故障の少ない電子系でも存在し、電気系や機械系ではかなりの経験が蓄積されている。電子系ではプログラムミスも多く、銀行勘定・航空管制・予約などについて毎年のように事故が報道されている。切り替えのプログラムミスが原因で起こった大きな事故がみずほフィナンシャルグループ大規模システム障害 (2002年) であった。
- ^ 予備系である最上部が切断されることは想定外であった。
- ^ 交流電力系統は極めて微妙なバランスの上で成立しており、1箇所の故障が広い地域に即座に拡がることがある(1987年首都圏大停電、2011年9月韓国大停電など)
- ^ 太陽フレアによる停電はきわめて危険とされる。今日の電子化された制御系統はEMP対策された軍用とは異なり外部電磁パルスに対し脆弱であり、予備系統や電源系を含めすべてショートし、全く機能停止するおそれがある。(停電の一覧)
- ^ 福島1号機ともう1機ではICしかない。
- ^ 一般の金属加工分野では設計・製造・施工などのミスにより次の行程に進めない場合、現場の判断でその場で叩いたり曲げたり削ったりして、欠陥をそのままにして、自分の製造工程を処理することがある。きわめて過酷な条件下で運転する原子炉の製造・修理でもそのようなことがあるという報道がある。
- ^ 密集しているため、レントゲン、超音波探傷、ファイバースコープが十分に使えない。打診さえできない。
- ^ 1991年 関西電力美浜発電所2号機事故では、振れ止め金具が所定の位置まで入っていないため、振動でこすれあってもろくなったのが原因である。
- ^ 1995年のもんじゅ事故では2次冷却系の少量の漏れで、鋼鉄製の床などに大きな損傷を与えている。
- ^ 熱伝導性が高いナトリウムは、容器を小さくできるため潜水艦などに使われ、また高速増殖炉では炉心部の高い熱量を運びだすことができる(運び出さないと炉心溶融になる)ため、危険性をある程度知りながら使う。
- ^ 外径22.2mm、厚さ1.27mm、インコネル660、3,260本の中
- ^ 温度記録計交換作業の作業場所が狭隘で、工具がむき出しの電源系リレー(普通はプラスチックのカバーがついている)に接触した。
- ^ RCIC-Reactor Core Isolation Cooling System-原子炉蒸気を駆動源とする冷却系。緊急時炉心冷却装置(ECCS)とは異なる。2011年には1 - 3日間動作した。この事故で即時に動作しなかった理由は不明である。
- ^ 非常用ディーゼル発電機は数分以内の動作が期待される(消防法、建築基準法では40秒以内。ヤンマー製商用4000KVAの仕様では10秒。柏崎刈羽原子力発電所の機能試験では7秒)(ガスタービンの方が発電力が高いが、起動に時間がかかり、ディーゼルに比べれば信頼性が高くないとされる)30分かかっている。理由についてプレスリリースには全く記述がない。また即時動作し、1 - 4時間電力を供給する非常用バッテリーがあるはず(2011年では動作したという)だが、全く記述がない。
- ^ 2号炉の緊急冷却は3回目となり、2011年は4回目となる。緊急に冷却すると炉心全体が脆くなるため、設計上は炉心寿命全体で3回までとされる。通常時には原子炉の冷却には何日もかける。
- ^ その後資料が出て、世界で3番目とされている[要検証]。
- ^ 情報源により異なるので、注意されたい
- ^ 艦番号249。直接死亡7名、間接死亡20名。原因は一次冷却回路の蒸気漏れ。修理中の溶接棒の破片が入ったため。
- ^ 2002年ハリソン・フォード主演・総指揮で映画化(「K-19」)。
- ^ 1974年8月ハワード・ヒューズの会社所有に偽装したCIAのグローマー・エクスプローラー号が海面下5,500mから先頭部を回収。
- ^ この艦は前年の処女航海時にも凝固を経験した。
- ^ 2005年現在ズベズダ造船所で解体中である。
- ^ 元々は「反乱」であったという説も存在する。[要出典]
- ^ 1985年12月に沈没したという情報もある。[要出典]
- ^ ウラジオストック南東50kmのパブロフスク湾海軍基地に係留中であった。
- ^ 日本ではこの事故による放射能は検出されなかった。
出典 [編集]
- ^ 原子力安全規制 - 高度情報科学技術研究機構
- ^ 村主進著、『原子力発電のはなし』、日刊工業新聞社、1997年7月15日初版第1刷発行、ISBN 4526040436
- ^ 『プルトニウムの恐怖』「第2章 原子力発電 - 原子力発電所の大事故」
- ^ 桜井(1992) p.25,p.162 炉心溶融の概念、冷却剤損失、冷却水由来の水蒸気爆発について。
- ^ 『プルトニウムの恐怖』「第2章 原子力発電 - 原子力発電所の大事故」
- ^ 桜井(1992) pp.23 - 25, p.40, p.149
- ^ 桜井(1992) p.40
- ^ 『プルトニウムの恐怖』「第2章 原子力発電 - コンピュータの落とし穴」
- ^ 『プルトニウムの恐怖』「第2章 原子力発電 - 人間の誤り」
- ^ 『プルトニウムの恐怖』「第3章 核燃料はめぐる - サイクルの橋渡し=核物質輸送」
- ^ 指針27.電源喪失に対する設計上の考慮:長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない。非常用交流電源設備の信頼度が、系統構成又は運用(常に稼働状態にしておくことなど)により、十分高い場合においては、設計上全交流動力電源喪失を想定しな くてもよい。 ○発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針:平成2年8月30日原子力安全委員会決定:一部改訂 平成13年3月29日 原子力安全委員会http://www.nsc.go.jp/shinsashishin/pdf/1/si002.pdf
- ^ 失敗知識データベース:原子力発電所の配管破裂で蒸気噴出 (2004年)(2004年美浜原子力発電所事故)
- ^ a b “福島第1原発の建屋が爆発=4人負傷、原子炉容器は無事-避難範囲、半径20キロに”. 時事通信. (2011年3月13日) 2011年3月13日閲覧。
- ^ “福島原発事故、JCOレベル=国際評価の暫定値-保安院”. 時事通信. (2011年3月13日) 2011年3月13日閲覧。
- ^ “福島原発事故、国際評価尺度(INES)-保安院”. 日本経済新聞. (2011年3月18日) 2011年3月18日閲覧。
- ^ “福島第一原子力発電所の事故「レベル7」に 原子力安全・保安院”. CNN. (2011年4月12日) 2011年4月12日閲覧。
- ^ 原子力教育を考える会 (2008年10月28日). “よくわかる原子力 東海村JCO 臨界事故”. 2011年3月25日閲覧。
- ^ 失敗知識データベース失敗百選
- ^ 福島第一原子力発電所5号機「原子炉隔離時冷却系の機能喪失における保安規定違反」事象に関する根本原因分析の実施および再発防止対策の策定について」平成22年11月29日
- ^ 平成22年7月6日:東京電力:福島第一原子力発電所2号機における原子炉自動停止に関する調査結果について
- ^ [http://www.eoearth.org/article/Chalk_River,_Canada Chalk River, Canada
- Encyclopedia of Earth]
- ^ ヒストリー・チャンネル 現代の驚異「欠陥計画」
- ^ INPO:About Us
- ^ Le Monde (2008年9月7日). “Les autorites nucleaires se veulent rassurantes face au rejet d'uranium sur le site de Tricastin” (仏語) 2011年3月25日閲覧。
- ^ OVNI (2008年9月15日). “放射性廃棄物の将来” 2011年3月25日閲覧。
- ^ ピーター ハクソーゼン、R. アラン ホワイト、イーゴリ クルジン(副長) 『敵対水域』 文藝春秋、1998年。ISBN 978-4163537405。
- ^ 現場写真には、船体から出る大きな炎が写っている。
- ^ 魚雷は、可燃物の推進用燃料と、大量の爆薬でできている。
- ^ R-29RMU「シネワ」。核弾頭には大量の起爆用火薬が入っている。
- ^ 取り外しに2週間かかるので、取り外さない場合がある。
参考文献 [編集]
- 桜井淳、1992、『原発事故の科学』、日本評論社 ISBN 978-4535580473.
- 高木仁三郎、1981、『プルトニウムの恐怖』、岩波書店.
- 高木仁三郎、2001、『高木仁三郎著作集 4 プルトーンの火』、七つ森書館 pp.121 -.
関連項目 [編集]
- 原子力撤廃
- 原子力発電 - 原子力発電所 - 警戒区域 - 5重の壁
- 国際原子力事象評価尺度
- 原子力委員会 - 原子力安全委員会 - 原子力安全・保安院
- 原子力資料情報室
- 原子力事故の一覧
- 各国の原子力発電所の事故(英版)
- 反核運動
外部リンク [編集]
- 原子力百科事典 ATOMICA トップページ(財団法人 高度情報科学技術研究機構)
- 核時代 負の遺産
- 原子力施設情報公開ライブラリー「ニューシア」
- 原子力安全基盤機構 国内・国外トラブルが検索できる
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